“手書き”による「抜書き」は、最強の知的生産の技術かもしれない

ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法 (PHP文庫)

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 読書の方法として“手書き”による「抜書き」をすすめる人は多い。起訴休職外務事務官で『自壊する帝国』など多数の著作で知られる佐藤優伊藤忠商事のサラリーマン作家で『40歳からの勉強法』などの著者・三輪裕範、それから作家の井上ひさし、最近では『情報は一冊のノートにまとめなさい』の奥野宣之などがそうだ。

自壊する帝国 (新潮文庫)

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四〇歳からの勉強法 (ちくま新書)

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本の運命 (文春文庫)

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情報は1冊のノートにまとめなさい 100円でつくる万能「情報整理ノート」 (Nanaブックス)

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 しかし、なぜ“手書き”なのか?
 今回、福田和也の『ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法』を読んで、初めてその効用が腑に落ちたと同時に、“手書き”による「抜書き」は知的生産のための最強のツールではないかとも思えてきた。


“手書き”で「抜書き」する効用

 “手書き”は時間がかるし、疲れるし、非効率的なのではないかと思う人は多いはずだ。しかし、福田は“手書き”だからこそ、自分に有用な情報を効率的にインプットできると強調する。その際、注意しなければならないことは「抜書き」する個所を厳選する、ということだ。
 なぜか?

 厳選すると、もちろん書く個所が少なくなるという利点がありますが、同時に、選ぶために何度も読んで、どれを書こうとする、その過程もなかなか意味があります。つまりは、「面倒だな」という気持ちを利用して、何が一番自分にとって大事なのかを、確認していくという作業をする訳です。
p.66

 つまり、“手書き”は「面倒」だからこそ、その情報が自分にとって本当に必要なのかどうか真剣に考えるきっかけを与えてくれるのだ。この「自分にとっての必要性」を意識するということこそ、創作にあたっての重要なカギを握っているのだ。


「必要性」と「構想(書くべき内容)」の関係性

 自分にとって何が必要なのか。
 それを識っているためには、自分が何を書こうとしているのか、あるいはやろうとしているのかを、まず正確に把握していなければなりません。(中略)
 (つまり、)構想がまとまり、形ができれば、できるほど「必要」なものの輪郭がはっきりし、限定されてくるわけです。
 だとすれば、「必要」をはっきりさせるためには、構想をなるべく早く明確にすればいいということになる。
p.88-89


 「自分にとっての必要性」を考え続けるという行為は、「構想(すなわち、自分が何を書きたいか)」を考え続けることでもあるのだ。そういえば、「必要は創造の母」なんていう諺もあったっけ。
 それはともかく、さらに福田は、「構想」をはっきりさせるには、「自分」を知ること、すなわち、自分の「情報処理能力」と「表現能力(筆力)」を認識することが肝要だと続ける。

 いくらたくさんの資料を集めても、自己の読んだり、整理したりする能力を超えていれば、何にもなりません。
(中略)
 どんな資料でも、読みこなせないのであれば、存在しないのと同じなのです。
p.92-93

 自分は、現在、どのようなことが書けるのか、と認識しておくことです。
 書けるということには、さまざまな要素があります。量的なもの、その速度も関わりますし、全体的な構想力、構成力にも関わりますし、説得力や修辞の問題もある。
 いずれにしろ、こうした要素を合わせて、なお読者にとって説得力のある文章を書くという事を考えた時に、自分が扱えるのはどういうものか、ということは自ずと分かってくると思います。
p.93-94


 自分の「情報処理能力」と「表現能力(筆力)」を十分に知ることができれば、書くためのコツも分かってくる。つまり、書くために必要な資料・情報は何か、すなわち有用であると同時に使いこなせるものの範囲、つまり「自分にとっての必要性」が確定してくる、というのだ。

 なんだか堂々巡りのようになってきたが、要するに、
 「自分の能力」→「構想(書くべき内容)」→「必要な資料・情報」
 という関連性があるということだ。

 つまり、「自分の能力」が「構想(書くべき内容)」を規定し、「構想(書くべき内容)」は「必要な資料・情報」を明確にするということだ。
 重要な点は、この関連性は逆にも作用するということだ。

 図式化すると、
 「必要な資料・情報」→「構想(書くべき内容)」→「自分の能力」となる。
 つまり、「必要な資料・情報」が何かを考え続けることは「構想(書くべき内容)」を明確化し、「構想(書くべき内容)」が決まれば「自分の能力」を向上させる契機になるということだ。

 「能力」⇔「構想」⇔「必要性」というトライアングルを、いかに活性化させるか?
 そこにこそ、創作術のカギがあるのではないだろうか?


 

何が「必要」なのか常に意識することが大切

 「自分(の能力)」を十分に知っておけば、おのずから書くための「コツ」といいますか、書く上でのポイントが分かってきます。
 つまりは、資料を集める上で何が必要なのか、ということが分かってくる。
 一つの事柄につながる資料の中で、自分が必要としているもの、つまりは有用であると同時に使いこなせるものの範囲が確定してきます。
 大事なのは、何が「必要」なのか、ということを常に考えているということです。
 情報に接するときに、それを常に考えておくこと。
 つまりは、この情報は、資料は、自分に消化できるのか。
 消化した上で、自分が書くものに使いこなせるのか。あるいは不可欠なものか。
 その問いを常に発しつつ、資料と接することによって、接し、獲得する資料や情報をなるべく必要に近づけることができます。この、必要により近づける、ということが、そのまま「効率」をよくすることにつながります。
p.95-96

 情報の「必要性」を常に考え続けることは、創作の第一歩になるのだ。そして、「必要性」を常に考え続けるためのツールこそは、“手書き”による「抜書き」に他ならない。


“手書き”による「抜書き」は最強のツール

 繰り返しになるが、“手書き”は面倒くさい。しかし、だからこそ情報の「必要性」を不断に考えざるをえない。さらには、次のような効用を生むことになるのだ。

 手を動かすというのは、生理的にキーボードとは違う部分がある。
 私は、原稿はかなり前からずっとワープロを使っていますが、一時期から手書きに戻しました。というのも、手で書き写していると、いろいろなことに気がつくのですね。脳が違った動き方をするのでしょうか。
 気がつくと同時に、いろんな考えが湧いてきます。
 そこを抜書きすることで、自分が何を示そうとしているのか、語ろうとしているのか、ということが、はっきりした輪郭をもって運動を始めるのです。
 ですから、抜書きをすることは、実際の原稿を書く上での準備作業にもなります。
p.62

 大事なポイントは、「そこを抜書きすることで、自分が何を示そうとしているのか、語ろうとしているのか、ということが、はっきりした輪郭をもって運動を始める」という点ではないだろうか。すなわち、“手書き”で「抜書き」することは、おのずと「アウトプット」を意識させるのだ。言い換えれば、何を抜書きすべきかと厳選することは、積極的に情報を編集することに他ならない。

 過剰な情報に囲まれていると、どうしても情報の整理、インプットの方法にばかり目がいってしまう。しかし、どんなに情報を整理しても、インプットしても、使われない情報は存在しないのと同じこと。数ある「知的生産の技術」本が、アウトプットの重要性を強調しているように、アウトプットを前提としないインプットは無駄なのだ。

 溢れかえる情報の海に溺れないためにも、一見、非効率的にみえる「“手書き”抜書き法」を試してみる価値はありそうだ。