インチキ食料自給率に騙されるな!?

 ちょっと古い情報だが、『文藝春秋』2009年1月号に、「農水省食料自給率のインチキ」なる記事が掲載された。

文藝春秋 2009年 01月号 [雑誌]

文藝春秋 2009年 01月号 [雑誌]

「日本の食料自給率は先進国で最低の40%。世界最大の食糧輸入国で、海外に食糧の大半を依存している。食糧安全保障の観点から、自給率を向上させることが喫緊の課題だ」ということが盛んに喧伝されているが、論拠となっている食料自給率そのものがインチキであり、農水省の省益確保のためにつくりだされたものだ!と主張する。論客の名は、浅川芳裕氏。雑誌『農業経営者』の副編集長である。

「カロリーベース食料自給率」のウソ臭さ

 農水省が向上を目指すカロリーベース食料自給率の欺瞞性を浅川氏は次のように指摘する。

  • カロリーベース食料自給率は、(国産+輸出)供給カロリー/(国産+輸入−輸出)供給カロリーという計算式で算出される。
  • しかし、分母となる供給カロリーには、大量の廃棄食品(コンビニ弁当の売れ残り、ファーストフードやファミレスなどでの食べ残し)までが含まれている。
  • さらに、畜産酪農品の場合、実際に国産製品が供給するカロリーに、飼料自給率が乗じて計算される。(つまり、国産豚であっても飼料が100%輸入品であれば、自給率は0%になるということだ。)
  • カロリーベース食料自給率を計算し、政策に反映させているのは日本だけ。
  • カロリーベース食料自給率の導入は、1983年。熾烈になってきた農産物(牛肉・オレンジ)自由貿易化交渉対策として「日本の農業の弱さ」を強調するために編み出されたもの。
  • カロリーベース食料自給率は減少しているが、総農産物生産量は人口増加率を大幅に超える増産に成功している。
  • 農業の国内生産額でみると、日本はアメリカの1580億ドルに次ぐ793億ドルで、世界第2位。EU諸国はもとより、農業大国ロシアや豪州の3倍超もある。食料輸入大国どころか、日本は“農業大国”である。

 どうやら、カロリーベース食料自給率というのは、日本の農業生産力を正確に表す指標とは言えなさそうだ。それどころか、いたずらに不安を煽り、農政をミスリードする元凶ですらある。

 

農水省が「カロリーベース食料自給率」にこだわる理由

 一体、農水省はこのインチキくさいカロリーベース食料自給率を駆使することで、何を目論んでいるのか?その目的は、「農水省の省益確保」に他ならない、と浅川氏は指摘する。

 “先進国で最も低い自給率”という印籠を使い、“国民の食を守る”という錦の御旗を掲げた運動の行き着く先は、農水省予算の維持・拡大である。
 昨年、65億だった自給率予算は、今年2.5倍の166億円を計上。2009年度概算要求に至っては、今年比18倍の自給率向上の総合対策を盛り込んだ3025億円と発表した。今年、17億円計上した自給率広報戦略も来年度予算で同額請求している。(中略)
 これらの予算の中身をじっくりみていくと、表面上は自給率向上を謳いながら、すべては米の減反維持存続政策なのだ。それも米価の高値維持と、減反のための納税負担という二重負担を国民に負わせることで、農協と天下り団体が何ら努力しなくても生き残れる道をつくるためだ。

 なんとも陳腐な目的ではないか・・・。官僚というのは、それほどまでに国益よりも自らの保身に血道をあげるような堕落した存在なのだろうか?確かに、一部にはそういう面もあるだろうが、全面否定してしまってもいいものなのだろうか?

浅川氏の主張の狙い

 浅川氏にあえて意地悪な質問をしてみたい。

  1. インチキな指標を使い既得権益を握り続けながらも、人口増加率を上回る生産量を達成した農水省の政策は評価してもいいのではないか?
  2. 確かにインチキな指標ではあるが、「カロリーベース食料自給率」を用いることは、農産物輸入自由化による国内農業への影響を最小限に抑えるための強かな戦略と考えることはできないか?
  3. 浅川氏が農水省批判をする狙い、理由は何なのか?

 最後の疑問については、『文藝春秋』の記事の後半にある次のような記述で窺い知ることができる。

 「日本の平均のうち面積は1haだから弱い」という“常識”の数値は何なのか。実は「地主当たりの農地面積」である。(中略)
 肝心なのは、その耕地をつかって実際に生産をおこなう「事業的農業者」の耕作面積が増え、生産性がどれだけ伸びたかではないか。事業的農業者一人当たりの生産量は1960年の4.3tと比較して、2006年には26t。過去40年に6倍も生産性が上がっている。物価変動部分を取り除いた実質生産額ベースの生産性でも同年比で5.2倍となっている。

 約200万件の販売農家のうち、売り上げ1000万円以上の農家は全体の7%で14万件だが、彼らが全農業生産額8兆円の60%を上げている。つまり、私たちの胃袋の半分以上はすでに、14万件の成長農場に支えられているのだ。

 自給率低下の原因とされる耕作放棄地など、ほっておけばいい。放棄農地には放置されたそれなりの理由がある。まして成長農場の経営力・技術力をもってしても手を付けられない土地なら、大企業が農業参入しようが補助金目当てで入ろうがうまくいくはずがない。故意に放棄地だけに目を付けなくとも、過去40兆円かけて基盤整備された、生産性の高い耕地が山ほどある。

 つまり、浅川氏の農水省批判の狙いは、国家予算の流れを“やる気があり経営力に優れた農家”に変えたいということなのか?はたまた、自身が副編集長を務める『農業経営者』2008年11月号に掲載された同様の記事、「食料自給率の罠」で書いているように、

 農水省批判や政策批評が目的ではない。無益である上、このままでは実害が大きくなりすぎる。座視できまい。
『農業経営者』2008年11月号 p.33

という義憤によるものなのか?『農業経営者』は日本初の“農業ビジネス誌”として農業を事業として捉え、経営者を応援するメディアだけに、

 本来世界に誇れるニッポン農産物を世界に発信せず、いかに国力がないかを宣伝するのは国辱である。農業事業者にとっては、誇りある職業を否定され、屈辱的でさえあるのではなかろうか。
『農業経営者』2008年10月号 p.27

という思いに駆り立てられてのことなのだろう。

農業経営者 2008年11月号(153号)

農業経営者 2008年11月号(153号)

市場原理を過信するべきではない

 『農業経営者』は、「政府による過保護こそが日本の農業を弱体化させた要因であり、市場メカニズムを取り入れることで農業を活性化させ成長させるべき」とのスタンスをとり続けてきた。農家を補助金漬けにして弱体化させてきた農水省を手厳しく批判することも理解できる。しかし、効率を優先しすぎるあまり、失われるものの価値を一顧だにしないというのも、どうなのだろうか?農地の集約化・効率化が難しい中山間地では、農業は衰退して然るべきなのだろうか?人の住まない集落が増え続けてもよいのだろうか?
 中山間地の農業を衰退させたのは、農水省であって浅川氏らの思想信条ではないことは重々承知だ。しかし、市場原理を導入しさえすればよいとの主張にも無批判ではいられない。インチキくさい指標を用いて国民を欺く農水省のやり口は気に入らないが、農村の衰退を「産業構造変化の問題」と割り切ることも、私にはどうしてもできない。
 このまま座していれば、“やる気のある”農業者をも見殺しにすることになるという警鐘にも耳を傾けつつ、経済合理性からこぼれ落ちる農業を持続させていく方策を考え続けたい。規制緩和・市場原理を過信して失敗を繰り返すことだけは、避けたいのだ。