「輸出依存見直し論」と「農業ブーム」

 本日(2009/03/10)の朝日新聞朝刊に掲載されていた「外需頼み 構造に限界 経常収支赤字 輸出・投資落ち込む」との記事をもとに、「輸出見直し論」と「農業ブーム」について考えてみた。

 1月の経常収支が13年ぶりに赤字に転落したのは、輸出と海外投資の不振が原因だ。米国を震源とする世界的な経済危機に直撃された。輸出と投資で稼ぎ、資源や食料などの輸入代金をまかなってきた日本の「ビジネスモデル」が揺らいでいる。
朝日新聞2009年3月10日朝刊》

2つの“にわか議論”

 昨年末以来の「グローバル恐慌」によって日本の輸出産業が大打撃をこうむったことで、「輸出依存見直し」を主張する意見を目にするようになった。
 一方で、にわかに脚光を浴び始めているのが「農業」だ。『週刊ダイヤモンド』は2009/2/28号で「農業がニッポンを救う」と特集を組み、『BRUTUS』は2009/2/15号で「みんなで農業」と題し、表紙に農作業に勤しむアートディレクターの佐藤可士和さんの眩しい笑顔を掲載。噂では、あの中田英寿も「これからは農業だ」とか言ってるらしい。ともかく、衰退産業だと思われていた農業に一大ブームが巻き起こっている。

週刊 ダイヤモンド 2009年 2/28号 [雑誌]

週刊 ダイヤモンド 2009年 2/28号 [雑誌]

BRUTUS (ブルータス) 2009年 2/15号 [雑誌]

BRUTUS (ブルータス) 2009年 2/15号 [雑誌]

「輸出依存見直し論」と「農業ブーム」の間に潜む関連性

 「グローバル恐慌」に喘ぐ日本に降って湧いた「輸出見直し論」と「農業ブーム」。今まで両者に関連性を感じてはいなかったのだけれども、上記の記事を読んで、この両者には密接な関連性があるんじゃないかと考えた。両者とも、日本経済のあまりのダメージの大きさにパニック状態に陥り、よくよく考えもせずに口走っているような節操のなさを感じてしまうのだが、ともかくこの危機の状況にこの2つの議論が頻出している。そのことには、何か集団心理的なものが働いているのではないだろうか。例えば、「食えなくなる恐怖」というような・・・。

2つの“にわか議論”の危うさ

 しかし、「輸出依存見直し論」も「農業ブーム」も、どうも気分的なものにすぎない。「輸出依存見直し」には私も賛成だけれども、「輸出依存見直し」後の日本の姿をリアルに想像してみると、正直こころもとなくなるのだ。
 というのも、上記の記事が指摘するように、戦後の日本は『輸出と投資で稼ぎ、資源や食料などの輸入代金をまかなってきた』。農業を産業として育成することは放棄し、農地を輸出産業のための工業団地建設などに転換することに邁進してきた。農業で食えなくなった農村人口を都市に吸収しながら商工業に従事させ、農村は過疎化。今や機能不全に陥る集落が多発していることが問題になっている。農業従事者の高齢化は進み、食料自給率も40%。こうした農業・農村の衰退は戦後60年余りにわたって、日本が進めてきた政策の結果だ。この政策の是非はともかく、戦後の日本人がこの「ビジネスモデル」によって生きながらえてきた、つまり「サバイバル・モデル」だったことは確かだ。
 「輸出依存見直し」は、戦後日本の「サバイバル・モデル」の根幹に関わることだ。その必要性は認めるけれども、気分的な希望的観測を繰り返すのではなく、現実を踏まえた議論が盛り上がることを期待したい。そのことは、「農業ブーム」についても同様で、「農業ってカッコイイ」、「農業は稼げる」みたいな浮ついた話しに振り回されていては、どうしようもない。
 「グローバル恐慌」以後、日本人はどうやって生き抜いていくのか、が問われているのだ。