思考するには「良い問」を発することが肝要

思考のレッスン (文春文庫)

思考のレッスン (文春文庫)

 丸谷才一の文体のせいか、対談のせいか、本文の内容は退屈。
 本書のエッセンスを把握するだけだったら、鹿島茂が書いている巻末の解説を読めば充分。
 ただし、〈思考のルールブック〉と題されたその解説の内容も、鹿島が書いている『勝つための論文の書き方』(文春新書)のエッセンスでもあるのだけれど・・・。


思考するためのルールとは・・・

  1. 「比較と分析」をする
  2. 「差異と類似」に注意する
  3. 「見立て」*1を行なう
  4. 「良い問」を立てる
  5. 「自分の発する謎」であることが“良い問”の第一条件
  6. 「謎を上手に育てる」ことが第二の条件
  7. 「常に謎を心に銘記」することで、問いを深める
  8. 「仮説を立てる」という冒険をする

 ちなみに、「良い問」を立てるためのより具体的な方法論については、刈谷剛彦『知的複眼思考法』が参考になる。


「答える」時代から「問いかける」時代へ

 今や、世の中のかなり多くの人が「自分なりの“問い”を立てる」ことに関心をもちつつあるのではないだろうか?
 一方で「正解をより早く、より正確に答える」ということへの関心は相対的に低下しているのではないか?
 上で紹介した『思考のレッスン』の単行本発売は1999年。文庫化されたのは、2002年だ。実質的に今から10年も前の本なのに、文庫の売れ行きは好調だ。Amazonの和書ランキングで見ると、今日現在で2574位とかなり上位に位置している。
 刈谷剛彦の『知的複眼思考法』も単行本発売は1996年、文庫化は2002年で、単行本の現在のAmazonランキングは、3278位だ。
 「問いを立てる」こととは直接結びつかないものの、編集工学を提唱する松岡正剛の人気が非常に根強いのも、自分で小説を書きたがる人がかつてない規模で増えていることも、この潮流における一つの現象なのではないか。


なぜ、「問いかける」ことへの関心が高まっているのか?

  1. インターネットの進歩によって、自分の脳に知識を蓄えることの必要性が低下している。言い換えれば、人類はインターネットという外部脳(外付けハードディスク、もしくはフラッシュメモリー)を装着した。その結果、膨大な知識を整理・編集することの必要性が相対的に高まった。
  2. 価値観がますます流動化している。やはり、大きな要因としてはインターネットの進歩が考えられるが、新聞やテレビなどの権威が相対的に低下。その世論形成能力に疑問符が付けられ始めた。何かしらの権威に「答えを求める」のではなく、自分の頭を使って「答えを導く」ことの重要性に気が付く人々が増えてきている。

「早押しクイズ」的なテレビ番組に代わるコンテンツを

 こうした世の中の潮流を考えると、「答える」番組、簡単に「答え」が見つかる番組は、もはや実質的には需要されなくなるのではないか。むしろ、いかにして「問い」を立てるかを競うクイズ番組のようなものこそ、多くの視聴者が求めているのではないか。

*1:『同種のものが別の外観で存在することを発見する、同類を見つけて同類項に入れる』p.216