『メディア・コントロール』抜書き


まずはインテリを情報操作せよ!

・・・国家による組織的宣伝は、それが教育ある人びとに指示されて、反論し難くなったら、非常に大きな効果を生む。この教訓は、のちにヒトラーをはじめとして多くの者が学び、今日にいたるまで踏襲されてきている。

p.15

自由民主主義」と「マルクスレーニン主義」、どちらもエリート主義

・・・自由民主主義とマルクスレーニン主義は、そのイデオロギーの前提をとってみると非常に近いのだ。私の思うに、それが一つの理由で人びとは自由民主主義からレーニン主義、あるいはその逆へと、自分では転向したという意識もなしにあっさりと立場を変えてしまえるのだろう。単に、権力がどこにあるかのちがいだけだからだ。

p.17

観客民主主義=主体的に行動しているつもりが踊らされているだけの民衆

 さて、これで民主主義社会には二つの「機能」があることになった。責任をもつ特別階級は、実行者としての機能を果たす。公益ということを理解し、じっくり考えて計画するのだ。その一方に、とまどえる群れがいるわけだが、彼らも民主主義社会の一機能を担っている。
 民主主義社会の彼らの役割は、リップマン*1の言葉を借りれば「観客」になることであって、行動に参加することではない。しかし、彼らの役割をそれだけにかぎるわけにもいかない。何しろ、ここは民主主義社会なのだ。そこでときどき、彼らは特別階級の誰かに支持を表明することを許される。「私たちはこの人をリーダーにしたい」、「あの人をリーダーにしたい」というような発言をする機会も与えられるのだ。何しろここは民主主義社会で、全体主義国家ではないからだ。これを選挙という。
 だが、いったん特別階級の誰かに支持を表明したら、あとはまた観客に戻って彼らの行動を傍観する。「とまどえる群れ」は参加者とはみなされていない。これこそ正しく機能している民主主義社会の姿なのである。

p.18

★リップマンって正力松太郎渡邉恒雄なんかと同類なのかな。


民主主義とは

・・・とまどえる群れを飼いならすための何かが必要になる。それが民主主義の新しい革命的な技法、つまり「合意のでっちあげ」である。メディアと教育機関と大衆文化は切り離しておかなければならない。政治を動かす階級と意思決定者は、そうしてでっちあげにあるていどの現実性を持たせなければならず、それと同時に彼らがそれをほどほどに信じこむようにすることも必要だ。

p.20

ノーム・チョムスキーって、相当な皮肉屋なんだろうな。

*1:アメリカを代表するジャーナリスト、作家。リベラルな『ニュー・リパブリック』誌の創刊に参加してジャーナリズム入りしたが、やがてニューディール政策を批判するなど次第に保守化していった。同時代の政治評論においては、おそらく最も影響力があった。〈巻末の人名ノーツより〉