心の奥底から湧き上がって来る歌を聴きたい

中上健次の生涯 エレクトラ

中上健次の生涯 エレクトラ

中上健次芥川賞受賞作『岬』に江藤淳が贈った賛辞として、引用されている言葉が印象に残る。

 「読者は、作者が『いっそ書かなければいい』と思いながら書いているものなどに、用はないのである。作者すら面白がっていない話に、どうして読者が惹かれるだろう?おそらく読者は、ただ『書いた』ものなど求めてすらいないのである。読者はむしろ、作者の歌を聴きたいと希っている。中上氏の『岬』から聴こえてくるような、個人の心の奥底から湧き上がって来る歌を」
p.299

 「“反戦”の歌、“平和”の歌、“原爆反対”の歌。これら“時代の歌”の特徴は、それが“正しい”という点にある。しかし、これらの“正しい”歌が時代を制圧したとき、文学は滅びる。なぜなら、人が決してつねに正しくはあり得ぬかぎり、つねに“正しく”あり得るような立場をとることはかならずなにがしかの偽善を含まざるを得ないからである。
 〈中略〉
 かかる“時代の歌”を含む文学は、かならず薄汚れる。それは“正しい”ことによって薄汚れ、“正しく”あろうとする偽善によってさらに薄汚れる。」
p.299-300

他にも、河出書房新社の鈴木孝一氏や文芸春秋の高橋一清氏ら、編集者との苦闘・共闘ぶりが興味深い。
特に、デビュー前の健次に深く影響を及ぼした鈴木氏の“梅干し”の喩えは秀逸。

小説を書く人間なら、殻までは誰だって書くことができる。殻を突き破るかどうかが、本物の作家になるかどうかの境目なんだから。
p.17

「梅干しの種の、さらにその殻を破った先に出てくる、核を食らう」ことが本物の作家なのだ。