あまりに日本的な、日本サッカー。

JAPANサッカーに明日はあるか (文春文庫)

JAPANサッカーに明日はあるか (文春文庫)


「日本人らしさ」という名の暴力

 日本のサッカーは不思議なもので、サイドバックに攻撃が、ストライカーに守りが強く要求される。ときに本業以上に求められる場合がある。そして求められた選手も、それが当然という顔をして身を粉にして働いている。
 自己犠牲の精神はわかるが、これは悪い意味での日本らしさではないだろうか。
 みんなで守る、みんなで攻めるというプレーをしていたら、失点した責任や無得点に終わった責任を、どう追及すればいいのかわからなくなってしまう。組織的な試合運びは一見、日本らしさが出ていていいように思えるが、責任の所在を曖昧にするという弊害もあるのだ。

p.35

★個性を出したら潰される・・・

サムライ?

 日本サッカー協会は『サムライブルー』という言葉を使うようメディアに呼びかけており、協会のホームページでも、『サムライブルー1対3韓国』などと表記されている−。

p.82

★サムい・・・。

外国語をそのまま援用して知ったかぶりする

 考えてみれば、日本のサッカー用語には日常生活の中から入ってきた言葉がない。
 歴史が違うといえばそれまでだが、野球にはいくつもある。サヨナラ、盗塁、四球、死球、併殺、暴投、敬遠、隠し球。日本語でプレーを語ることによって、イメージがすんなりと浮かんでくる。

p.85

鹿島アントラーズの強さの秘密

 変わらないことが鹿島の強さの源といっていい。
 日本サッカー界には、いくつ物流行語が生まれてきた。オシムによる『非世もボールも動くサッカー』は、その最たるものといっていい。やがて、ファンや記者はもちろん、Jリーグの監督までもが『人もボールも動く』と言い出した。S級ライセンスを取得した優秀な指導者たちが、なぜか一斉になびいたのだ。
 だが、鹿島だけがブームに乗らなかった。このチームのブラジル人監督は一度も『人もボールも動く』と口にしたことがないはずだ。
 自分に自信を持てない人ほど、流行に左右される。鹿島が流行に乗らなかったのは、その必要がなかったからだ。

p.91-92